Be yourself Love yourselfBe yourself Love yourself

山口真生

YAMAGUCHI Mao

2018年入社
東京支店 コーディネーター

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chapter01
嫌われることに怯えて過ごした日々

群馬県の田舎で生まれ、私は男女の双子の妹。
お兄ちゃんの友だちも、自分の友だちも、たくさん家に遊びに来るようなたまり場だった。
母は英語の先生をしていて、1年に1回、家には外国人がホームステイに来ていて、
知らない人と出会うことが多い子ども時代だった。
表面的には誰とでも仲良くできる。
でも実際は八方美人に振る舞えるだけで、
心の中ではびくびくして過ごしていた。誰からも嫌われたくない。

中学校には派閥があった。
自分が通った小さな小学校出身のグループと、隣の大きな小学校出身のグループ。
なぜか自分たち小さな小学校グループは、大きな小学校グループの人たちから下に見られていて、
友だちが次々といじめられていた。

私は表面的には誰とでも仲良くできたから、
いじめの対象にはならなかったが、友だちがいじめられているのを見ても、
怖くて守ってあげることはできなかった。

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chapter02
存在を消して過ごしたホームステイ

中学2年の時、母から「アメリカにホームステイに行っておいで」と言われた。
全然乗り気じゃなかったけれど、1ヶ月なら、と思って行った。
結局、「二度と行きたくない」と思って帰ってきた。
ホームステイ先には、双子の姉妹がいて、毎日大喧嘩。
英語もスラスラ出てこないし、止めることもできず、
存在を消して喧嘩が終わるのを待つ毎日だった。

部活の部長に任命された時も嫌で仕方なかった。
派閥の対立が続く中で、それを取り持つことを期待された任命。
うまくやれたかどうかはわからない。
とにかく部活が平和でありますようにと、祈りながら立ち振る舞う日々だった。

高校受験。めちゃくちゃ行きたかった高校に落ちて、
失意の中、私立の英語に特化したコースに進んだ。
受験に失敗した意地もあって、とにかく英語を猛勉強した。
高校2年で、アメリカに1年間留学するチャンスが得られて、
両親に相談して行かせてもらった。
もっと、英語が上手くなりたくて。
何よりも中学の時に成長できなかったホームステイの悔しさを晴らしたかった。

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chapter03
人生を変えた二度目のホームステイ

オハイオ州の田舎。
ホストファーザーとホストマザーは、それぞれ離婚を4回ずつ経験していて、
それぞれの子どもが合わせて7人いる家族だった。
なんと複雑な家庭に私は来てしまったのか。
それぞれが離婚をした元妻と元夫に子どもを会わせるために、
週末は車で子どもを連れて出かけていった。
帰ってくると毎週ファーザーとマザーが大喧嘩を始める。
大声で怒鳴り合い、ガラスが割れる音が聞こえてくる。
小さな子どもたちは、いつも怯えていて、私の部屋に来た。
小さな子どもたちを抱きしめながら、早く喧嘩が終わりますようにと祈った。
翌朝になると、二人とも何事もなかったかのように過ごしている。
喧嘩を止めてほしいけれど、いざ二人を目の前にすると、
「いい子でいたい自分」が出てきて、ニコニコしてしまう。
毎週行われる喧嘩と、いつまでも変われない自分へのストレスで、円形脱毛症になった。

留学している間、日本の母には電話しないと決めていたけれど、
半年が経った時、初めて電話をして状況を説明した。
母からは「ホストチェンジしなさい」と言われるかと思ったけれど、
受話器の向こうの母は「大変だね〜」と、全然驚いていなかった。
「真生は、八方美人な自分にさよならするために行ったんじゃなかったの?」
「大丈夫。誰からも愛されるように育てたから、逃げずに話しに行きなさい」
母の言葉を聞いて、座りこんでいたソファから腰を上げた。

夜中の23時、喧嘩をしている声が響く寝室をノックしてドアを開けた。
私の足は震えていた。
「聞いてほしいことがあるの」
二人に、喧嘩を止めてほしいと伝えた。子どもたちも怯えている。
私はみんなのことが好きだから、この家にいたい。
だから、喧嘩をすることを止めて、みんなを安心させてほしい、と。
二人は、喧嘩をしていたことを私に謝り、
そんなに真生を不安にさせていたとは知らなかったと言った。
それぞれ離婚した相手が子どもに暴力を振るうことに悩み、
どうすれば子どもを守れるかを話すうちにいつも喧嘩になってしまうという事情も話してくれた。

喧嘩が完全になくなったわけではないけれど、
二人が何を守ろうとしているかがわかって、子どもたちを安心させることができた。
私は1年間だけの娘だったけれど、アメリカを離れる時、
ホストマザーは肩に「MAO」というタトゥーを入れてくれていた。

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chapter04
真っ直ぐに生きる

人生で初めて、本気で人と向き合った経験が、私を変えた。
嫌われることを恐れずに、自分の意志を伝えて、より深い関係を創れるようになった。
「真っ直ぐに生きる」という意味を込めてつけてくれた名前のように、生きていこうと思った。

インタラックで働いているのは、人生を変えるターニングポイントを創れる仕事だから。
自分は機会に恵まれていたけれど、ALTという仕事を通じて、
たくさんの人に、人生が変わるターニングポイントを届けられる。

入社する前は、子どもが変わるターニングポイントを創る仕事だと思っていた。
けれど、学校とALTを繋ぐコーディネーターという仕事をしていると、
子どもだけじゃなくて、大人が変わる機会も創れる仕事だと実感する。
ある学校の先生から「東南アジアのALTを派遣しないで」とリクエストが来た。
かわいそうだと思った。ALTが、ではなくて、その先生が。何も知らない。
偏見に囚われて、大切なことを見失っている。
私は、代理のALTを派遣する時に、フィリピン人のALTを派遣した。
子ども思いで、授業のスキルも高い、最高のALT。
昔の私なら、揉め事が起きることを怯えていたかもしれない。
でも、間違ったことを受け入れて、
曲がったことにニコニコするような生き方を、私はもうしない。

授業が終わったあと、学校からすぐに連絡があり「来年もあの先生でお願いします」と言われた。理解不足やコミュニケーション不足が引き起こす偏見も、
実際に会って話すことで、必ずなくしていくことができる。

私は真っ直ぐに生きたい。
この仕事を通じて、真っ直ぐに生きる人を1人でも、増やしていきたい。

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